みんなが先生





決めている






疲れたら休む








何時でも







それを無理したから

壊れた








復帰をきめてからも

なかなか変えれるものではなかった





でも


いわれるようになった





そのときはまだ往診の鍼灸師







先生

今日しんどいでしょ

帰り







雨の日

延期しようか






こんなメールがくるようになる









私を気遣って







どっちが患者なのか









受け入れる、練習をする








頑張れる 人間は


休む練習 がいる









ここにもかいたが



わたしは自分が傷つくことに
なんら厭わなかった










私だけ傷つくくらいだったら

それでいい










そういう環境で育った










まちがってた








いわれた


仲間に










お前の身体は

もうお前だけのものではない






そんなつもりがなくても

お前がリーダーなんや






真ん中








城の芯張りなんや









お前がくずれてら

全てとまってしまう








いい社長いっぱいおったんや



みんな無理して病気になって

死んだんや








生きたもん勝ちや









ガンッ!


てきた







だから無理するな






山ほどいわれて





またか、っておもってた




ごめん









明石家さんまも



上を向いて歩こう


あの人と同じ飛行機に乗るはずだった



たまたま予定がかわった




人生について考えたと








だから娘に名付けた





生きてるだけで丸儲け





イマル







亡くなった先輩たち




二人とも頑張った甲斐があって

店は軌道にのった







30.40代



二人とも大腸癌




一人は見つかって
二週間後亡くなり



残されたのは

2歳と3歳の子供







何のために仕事したのか?







病気にならない体をつくる









このメソッドを作った意味





必要だから












この会社を作った意味




広めるため









私に楔を打った仲間が

この夏無理をした






忠告した

あぶない







あなたに何かあったら

あなたの社員傷ついたらどうする

あなたに期待してる
社員の家族はどうなる







こういわれた







止まられへん








そうか

これは一年前の私だ









どうする







考えないと







言葉では止まらない








考えろ


これはやばい



どうすればいい









何かあったときのために

自分が冷静でないと







だから


陰ヨガをはじめた






毎日、している






なんでも

やればいいってもんではない






自分はもう壊れてはいけない








一月間

オンラインで先生についた






スピリットにいた
24節気ヨガ ユカさんの

東洋医学  夏から秋のことを調べ







季節と
やりたいこと、



ちがうな


欲しい体にするため



必要な体にするため







自分の身体を大事に扱う








それができずして

なにがウェルネス会社社長だ










副交感神経

リラックスする神経のスイッチをいれる






わたしの最も苦手とする






じっとする





耐える





という作業






仲間は

それをするんやったら
僕と仕事しよう




そういわれたが



いい先がみえないから
それはしない








これはストレッチとはまたちがい

靭帯、関節腔にアプローチをかける






0.1ミリずつ


伸びてくる






伸ばそうと、しない




伸びるその時、を待つ






lavaのカリスマ

安藤先生がいってた










やっと意味がわかる





無理に伸ばすと

筋肉は悲鳴をあげて硬くなる





今までごめん

大丈夫?





伸ばしてるところに
話しかけながら




この体の

60兆の細胞の監督はわたし





慈しんでなかった






お母さんも


痛い時は痛くするまでしてごめんって
そこにいうのよって






小さい頃はよくわかってなかった









気持ちいい

のびてくる




一つの筋肉でのばしていいのは

MAX10分


それも何回かにわけて







最後に西野流の呼吸法で整えてから


仕事にかかる








冷静に判断できるようになった






慌てなくなった






つまりこうなれたのは

仲間が体を壊しかけるまで
会社をやったからで









今まで関わってくれてるみんなが

みんな先生







わかったのは






わたしは大事な誰かのためなら


なんでもできる








ということだ












ちなみにその仲間は

胃腸炎になって
身体がとめてくれた








僕はもうダメなんかな










そんなの

わたし年中なってるから





わらってしまった