おばあちゃんという人





一言で言うと

私たちに関心のない人です









教育者で

ピアノと声楽とタップダンス










自由というか

マイペースというか








小さな頃はほとんど
話した記憶がありません










好きなものは



コーラとポテチのうす塩




白身魚は嫌いで

好きなのはサーモンとトロ



アメリカ生まれっぽいですね







コークハイはお酒が7で


一回つくったとき
お酒は3でしたら









これ薄いといわれました









酒豪でね









ホワイトヘアーに
一部分前髪が紫でおしゃれでしたね







その紫
地毛だとおもってました










うちには

海外の留学生のかたもよくきてたので




みんなにマミーといわれてて








真美さんだとおもってました









あるとき

おばあちゃんの名前が違うとしって







何で?ってきいたら






マミーって意味よ








自分のことを話さないひとで
あるとき聞いたら教えてくれました








小さなひとでね


その時の公務員試験は150センチないと
いけなかったそうで



おばあちゃんは1センチ足りなくて
だめっていわれたとき






1センチで頭の中身変わるんですか





と言い返し受かったそうです















おばあちゃんの実家は広島でね



男は医者で
女は看護師




ひいじいちゃんとひいばあちゃんは
アメリカでスーパー経営してて





アリゾナでね生まれたの


お昼は
ボンネットで目玉焼きがやけて






通りでうちのご飯に


チリカンカンや
タコスがでるわけで









ココナッツがおやつで

わってのむのよ
それは50セントだった





日本のは高い





アタリマエヤ










第二次世界大戦前にかえってきて

船で日本語教えてもらって

小学校のころ
全校生徒の前で英語でスピーチさせられた







空襲で逃げ回って防空壕投げ込んだ

三つ中二つは焼夷弾でやられて




生き残ったんや










おばあちゃんの最初のしごとは

GHQのメイドでね




通訳だったの
帝塚山でね





お給料は現物支給で


チョコレートとかハムだったの




それを近所にくばってた


その時代食べ物に困らなかった









この話を


地元が同じの
仲間のかたに話したら









僕の実家の近所に
君と同じ苗字の音楽の先生いてね






小さな人だった






何故かずっと同じ小学校で教えてた

普通先生は何年かでどこかいくのに








聞いていくと








それ

うちのおばあちゃん








ひぃばあちゃんが
転勤させないように手を回したって

いってたよ







小三の頃の担任だよ






ハーモニカかな


吹いた瞬間







もういいわよっていわれた








言うてそうや


爆笑











こんなことってあるの



どこでつながるかわからないね








ご縁を感じました











おばあちゃん





校長になれたのに仕事やめます







なんで?








先生ってね




子供より親に気を使わないといけない

それがわずらわしい






親の職業、とかでね












日本では言いたいこと言えない


といってました










私は20歳くらいだったかな

こう返したんですよ








日本には日本のやりかたあるので








可愛くない孫でしたね







そりゃお母さんも
弟を可愛がるわけです





今ならわかるんですけど










でも

そのわたしも





煩わしさから全く遠いところで

仕事をするようになり











人に喜んでもらうこと





書くのがすごく好きなのです







憧れの



さくらももこさんとか

ハリーポッターとか









書いてて幸せなんですよね










血は争えないです